「GIDとして生きる」について
「GIDとして生きる」カテゴリーの記事は みわちんどっとこむ 管理人のmiwachinではなくGIDであるしむこれさんにお願いし書いていただいたものです。
個人的な感情で彼女に執筆をお願いしましたが、より多くの方へも読んでいただきたいと思い、当ブログで連載させて頂きます。
しむこれさんとの出会い
2016年、6月下旬。私のTwitterタイムラインではフォロワーさん達が「内定取り消し」の話題で盛り上がっていた。
2008年のリーマンショック以降日本で多発した「内定取り消し」について今更特段の感情は抱かないのだが、この時ばかりは違っていたのだ。
内定取り消しをされたしむこれさんはGID(Gender Identity Disorder/性同一性障害者)なのである。
内定取り消しがGIDであるからではないかとの事だった。
「GID」と「内定取り消し」
本当にGIDが理由で内定が取り消しされたのであろうか?私にはわからないのだが、この2つの単語が並んだ時、私の中に言葉にできない色んな疑問や怒りや悲しみが渦巻いてきた。
そして気がついたら彼女にDMを送っていた。
GIDとして生きることについて考えてみたい
性同一性障害者は子供の頃からまわりに1人〜2人は存在していて身近な存在である。
私は彼/彼女達に対して特別視する事もなく疑問も何も持たずに育ったように思う。
友達が/家族が、そこに存在するように、彼らもまた、そこにごく自然と存在だったため深く考えた事がなかった。
「◯◯くんが□□くんが好きなんだって〜」なんてクラスの誰かが云えば、ヒューヒューぐらいなノリだったし、男の子だろうがお化粧したいって相談されれば、どこそこのファンデはカバー力がいいだの、会話をし、そのことに疑問を感じた事はあまりない。
だから、あまりにも驚いたのだ。
一体なぜ!?何が問題なのか?
それから
あの子達は一体どうしているのだろう!?
という疑問も湧いてきた。
あまりにもナチュラルに存在していたが為に、見過ごしてきたであろう問題点が沢山あるはず。
それらを知りたい。
ねえ、しむこれさん、あなたに起きたことを教えて!
興味本位なようで大変失礼かもしれないけれど、彼女に執筆の依頼をしていました。
当サイト みわちんどっとこむ で連載するよ
ということで、しむこれさんに20本の原稿を書いて頂きました。
依頼した当初は別サイトでの連載予定だったのですが、原稿を読み進めるにつれて、なんとなく、ここ、私のプライベートブログ「みわちんどっとこむ」で紹介したくなったので、ここで連載する事にしました。
このブログを閲覧の皆様もこれを機にGIDについて考えていただけると幸いです。
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