GIDとして生きる 01

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「GIDとして生きる」カテゴリーの記事はGIDのしむこれさんに書いて頂いた記事です。詳しくは「はじめに」をご覧ください。

#01 ブログ開始のいきさつ

ブログをご覧の皆さん、はじめまして。東京都在住20代後半のしむこれです。

現在、GID-MtFとして生活し始めて早1年が過ぎました。その中で生活の要となるものといえば、人生の大半を過ごし、収入減となる職場であることは言うまでもありません。GIDとして生きる私がどのように就職戦線を乗り越え戦ってきたか、社会がどうあるべきかなどをお伝えできればと考え、このブログを書くことにしました。
まず第1回目は私のこれまでのいきさつについてお話しさせていただきたいと思います。
私は埼玉県の田舎に長男として生まれました。内向的・内弁慶的で近所の子供と遊ぶこともほとんどなく、生活態度や勉強などを父から厳しく叩き込まれ、父の特徴である頑固一徹を引き継ぐかのように成長し過ごしました。性別違和を感じるようになったのは、中学生ごろからでした。近所の人からかけられる言葉が、子供の頃にたくさん言われてきた「カワイイ」から「カッコイイ」と変わっていくことが不満でした。昔ながらの考え方をゴリ押しする父と、認知症で何もできない母との生活に対立することもありました。そのため、高校もその後の専門学校も、親の斡旋してくれた学校は目にも止めず、自己判断でイチから決め押し切りました。

専門学校から親元を離れて一人暮らしを始めることができため、鬱憤が一気にはじけました。この学校では趣味の会う仲間が多数いることと、その人よりも優位に立ちたいと考えるようになり、あえて人とは違った行動をするようになりました。提出する課題に萌えキャラを使ったり、原稿用紙2枚で認められるのをあえて10枚書いて出すことは日常茶飯事。服装自由なのをいいことに運動会ではアニメコスで出場もしました。また、TVチャンピオンなどの視聴者参加型番組にも応募。周囲のドン引きと引き換えに、学校としての有名人となり、卒業式で特別賞として表彰されました。

専門学校を卒業してから、待遇面や人間関係、仕事が合わないという理由で現在までに転職を10回経験しました。その中で最も役にたったのがCRO(医療機器開発業務受託機関)での治験データ解析の仕事です。メディカル業界のため医療用医薬品や専門用語などを覚えることになり、薬についてのスキルが多少なりとも身に付くことができました。調べているうちに女性ホルモンを知りホルモン生活がスタートしました。個人輸入でホルモン投与を続けて実績を作ってから精神科医を通うようになったため、3か月程度でGIDとして診断を受ける事ができました。
しかし、男性から女性へ転換し、日常生活を無事送れるようになったものの、まだ一般的には認知が薄かったり誤解されているのが実情で、残念ながら現時点では女性での仕事ができる就業場所が見つかっていません。
次回は私の就職経験談についてお伝えできればと考えております。次回もよろしくお願いします。

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